イズ95
イズ95
ゴクリと喉を鳴らし、冷や汗を手の甲で拭う。
「ですが、貧血状態に陥ると、この渇きを改善する為に『撹乱器官』が暴走するのです……暴走状態の吸血鬼は、超音波などの特殊能力が使えない代わりに、脳のリミッターが外れます。具体的には、あのサイよりも腕力があり、あの昆虫をベースにした男より速い速度を持っています……!」
組員がマナを撃ち、失血した事で貧血状態に陥ってしまったのだ。
だから森野は何度も言ったのだ。傷つけるな、と。
自ら捕食すべき相手を見つけ出し、マナは組員の一人に襲い掛かる。
異常な速度に、組員は瞬きする事も出来ず……銃声が轟いた。
数十発のゴム弾を受けたマナは足を擦過させながら後退。見上げた瞳が、爛々と輝き幸一を見据える。
「早く逃げろ! この状態の吸血鬼に勝てると思ってるのか?!」
組員が、とめてあるベンツに眼をやる。そこには、先程吹き飛ばされた組員。
マナの牙は飢えた獣のように輝きを発し、口からは極上のステーキを見つけたかのごとく、涎が垂れている。
恐慌の悲鳴が一つ上がると、彼等の逃亡は実に迅速だった。我先にと車に飛び乗り、エンジンをかける。唯一、大沢だけが頑なに逃げようとしなかったが、他の組員が強引にベンツに乗せる。
森野に至ってはいつの間にか車に乗っており、一足早く逃げ出していた。
……場に残ったのは、幸一とマナだけであった。
ゴクリと喉を鳴らしたのは、渇きを癒す獲物を見つけた吸血鬼。
「……マナさん。あの時の姉さんも、今のマナさんと同じ状態になりましてね」
声が、マナ・ラングレーの人格に届いているとは思ってない。幸一の膝はガタガタと笑っていた。
「姉さんは、隠れていたぼくを除いて、場にいた追手を皆殺しにした……それまでは、人を殺した事なんてなかったのに……」
それでも独白を続ける。金銀妖眼の異相が、血のように赤い瞳を見つめる。
「姉さんの未来と、泡のように脆い幸せな日常を、ぼくが奪った……壊してしまった……姉さんを、拒絶してしまった……今でも、姉さんには安住の地も、安らぐ暇も無く、心を許せる人も無く……世界のどこかを彷徨っているんでしょう」
カラになったライトマシンガンを投げ捨て、右手にM13を、左手にはべレッタを握る。
今の状態でマナを逃せば、かなりの高確率で民間人に被害が出る。
そして……殺した人間の数にもよるが……この状態に陥れば、数時間は正気に戻らない。十数名は失血死するだろう。
そうなれば、よくて死刑。最悪、モルモットとしての苦痛に満ちた生が始まる。
「もう、逃げない。貴方には、誰も殺させない。姉さんのようには、させない。今度は……今度こそは、絶対に守り通して見せる! ジェスさんが、リアが、フランクさんが、みんながぼくと貴女の帰りを待っている!」
あの時から、自分の時間は止まったまま。あの凍ったように冷たい夜は、未だに終わる気配を見せない。
「そして、ぼくも……この凍った夜を、終わらせてみせる!」
息を吸う……無理矢理、膝の笑いを止めた。
引き金を絞るのと同時にマナが接近。風圧すら感じるような貫手を寸での所で回避すると、幸一はべレッタを発砲。だが弾丸はむなしく空を切る。背後に悪寒を覚えた幸一は身を屈め、確認もせずに銃口を背後に向け、速射。
運良く一発がマナの肩を捉えるが、傷はすぐに塞がる。まったく堪えていない様子で、再び地を這うような低い姿勢で迫ってくる。
青い瞳に映る数秒後の光景。それを見て、幸一は刹那の差でマナの攻撃をかわし続ける。