ミラー

些細

些細

 まあ、どうでもいい。些細な事だ。吸血鬼はその首筋に牙を当て、

「ぼくを殺しても、気にしないで下さい……責められるべきは、ぼくの未熟さですから……」

 ほんの少し、悩む。この獲物は、本当に食べてしまっていいのだろうか?

 顔を戻し、獲物の顔をもう一度見つめる。

「マナさんなら、マナさんが望むような人になれるますから……ぼくの事を、引き摺らないで生きて下さい」

 左眼は黒い瞳、右眼は青い瞳。当然だが、覚えが無い。

 ただ、その穏やかな笑い方だけが、少し引っかかった。

 何か、忘れている気がする。

 だが、渇きは無情にも彼女の疑問を速やかに掻き消した。

 再び牙をその首筋に当てる。

 

 幸一は、死への覚悟を固めていた。

 悲鳴だけはあげないようにしようと思った。これから彼女が生きていくのに、自分が悲鳴をあげる事で、トラウマを刷り込む事だけは、何が何でも避けたかった。

 牙が、静かに首筋にめり込んでいく。小さな痛みが、今まで耐えていた恐怖を増幅する。いつ死ぬか、それとも今死ぬのか。それを実感させるこの時間は、幸一のこれまでの人生で最大級の恐怖があった。

 それでも、幸一は必死に悲鳴を噛み殺そうとする。瞼を強く閉じ、最後まで悲鳴はあげないよう努める。

 死ぬのなら、早く終わって欲しい。幸一は切に願う。

 が……その願いは果たされない。いつまでたっても、牙がそれ以上めり込む気配が無い。

 一分程経って、幸一は固く閉じた瞼を開き、マナを見る。

 マナは相変わらず自分の首元に顔を埋めている。だが、組み伏せている手に、力が込められていない事に気付いた。

「……マナさん? マナさん?!」

「う……ん……こう、いち、君?」

 ただでさえ青い顔が、漂白されたように白い。いや、それはどうでもいい。

何故、彼女は正気を取り戻せたのか?

「……どう、なったの? 私、途中から記憶が」

 不思議そうな声に、幸一は推測を立てるべく、質問する。

「あの……超音波は、使えますか?」

 マナはしばし眼を閉じ……首をゆっくり横に振った。

 という事は……『撹乱器官』が、著しい貧血状態から耐えるべく、自己保存の為に一時的な休眠に陥ったのではないか?

 血に飢え暴走を続けても、一向に渇きが解消できなかったので、マナ自身の身体に更に負荷がかかった。その結果、身体が『撹乱器官』を一時的に休眠させたのではないか?

全ては、推測だ。確証がある訳では無い。

 だとすれば、この状態が続けば、マナの身が危険だ。

 しかし、当面の危機は回避された。

 爆発を聞きつけてか、サイレンが聞こえてくる。

 ……消防車だけではなく、救急車もいるだろうから、マナを運んでもらい、輸血して貰えば良い。

 ほっとした幸一は、マナと身体が密着している事に、今更ながら気付いた。これではあらぬ誤解を受けかねない。

「あ、あの、マナさん……ちょ、ちょっと、ど、どいてもらえませんか?」

 真っ赤に染まった幸一の顔が何を言いたいかはわかっていたマナは、そっと苦笑する。

「ご、ごめん……その、私、何だか身体が動かないの……ちょっと、どかして」

 マナの言葉にガクガク頷きつつ、幸一は……

「よい……あれ? よいしょ……あ」

 何かに気付いたように、絶望的な声をあげた。