ミラー

プレディクト

プレディクト

一台のベンツが向かう先は、密林の奥にある更地だ。万一の時のために、国外脱出用にと森野はそこにヘリを用意しておいたのだ。

 その更地に到着し、ヘリが見えた事で、森野は安堵の吐息をついた。

「まったく……とんでもない誤算です。まさかあそこで吸血鬼を撃つとは……あの馬鹿共が!」

 自分の策はほぼ完璧だった。自分が考えていた以上に『プレディクト』は頭の切れる人間だったが、それでも充分勝てたはずだ。

「まさか味方に足を引っ張られるとは……計算外も良い所です、あれほど傷つけるなと言っておいたのに」

 これだから馬鹿共は、と短く吐き捨て、森野はベンツから降り、ヘリに向かう。

「まあ、終わった事を嘆いてもしょうがありませんね。この失点はいずれ」

「その失点、どこで取り返すつもり?」

 冷え冷えとした声に、森野は慌てて声の主を顧みて、息を呑んだ。

 それは少女だった。高校生、いや、大学生だろうか。年齢は二十前後のように見える。

 息を呑んだのは、彼女の非現実的な美貌のせいだ。まるで名だたる巨匠の名画から出てきたような、精巧な造形美。

 腰まで伸ばした髪を風になびかせ、少女は問う。

「森野圭介こと、沢渡郁也、三十一歳。アメリカで遺伝子操作兵のサンプルをマフィア相手に売りつけている闇の住人」

 自分の本名を言い当てられた沢渡は、懐に忍ばせておいた拳銃を出し、銃口を彼女に突きつけた。

「ほう、私の名を知っている事といい、この隠れ家を見つけた事といい……どこぞの潜入捜査員ですか?」

 黒ぶちの眼鏡を外し、丁寧な言葉使いとは裏腹に、射殺すよう彼女を睨み付ける。

「いえ。遺伝子操作兵保護監督者よ」

 その答えに、沢渡は一瞬、呆気に取られた。

「……これは、してやられましたね。まさか、あの大学で遺伝子操作兵を強硬に排斥すべきだと主張している張本人が、保護監督者とは……藤堂沙紀女史」

「まあ、貴方が思っているように、大概の人は疑いもしないでしょうね。まさかあれが、演技だとはね」

「彼等はその事を」

「知っている訳がないでしょう? 彼等のようなお人好しが、事情を知って、あれだけの敵意をぶつけられると?」

 自らの不明を悔むよう、沢渡は舌打ちした。

「警察を動かしたのは、貴女ですね。爆発を聞きつけてから動いたにしては、動くのが異常に早いと思いましたよ……でも、保護監督者の貴女が、どうして彼等の排斥を? まさか今回のような事態を想定していたとは言いませんよね?」

「半分はカモフラージュ。でも昨年は、今年のようにサークル解散に迫るような措置は必要なかったわ。あくまで、彼等の癇に障るような態度を取るだけでよかった」

 沙紀の淡々とした物言いに、沢渡は自らの思考が冴えていくのを実感した。

「昨年は? ……まさか」

「ええ、彼等があのヤクザを捕らえたおかげで、全国的に有名になってしまったからよ。貴方達のような人間が、彼等を狙うのはわかりきっていたから。……これ以上彼等の名が広まらないようにするには、どうしてもサークルを潰す必要があった……今回の事件のせいで、さらにその運動を強めないとね。彼等にとっても、私にとっても、災難以外の何物でもないわ」

 一つ頷き、婉然とした氷の微笑を沙紀は浮かべた。

「私としても、鈴木幸一、『プレディクト』の存在は誤算だったけど、貴方の方がより痛手だったようね。まあ終わり良ければ全て良し、という所かしら」

「まだだ。まだ、私にはやり直しが利きます」

 引き金に静かに力を込める沢渡を見ても、沙紀の美貌は全く揺らがない。

「いいえ、貴方はもう終わっているわ。私に会った時点で」

 一体、何を言い出す。この状況で危機なのは、銃を突きつけられた彼女ではないか。

「大沢組は今度こそ根元から潰せるでしょう。貴方が色々策を弄してくれたおかげで、警察内部の内通者も炙り出せた。その事だけはお礼を言っておくわ」

「減らず口を……!」

 憎々しげに口元を歪める沢渡は、引き金を……

「な、なんだ?! 何故引けない?!」

 安全装置は……かかっていない。ならば何故?!

いや、違う、指に力が込められない!

「鈴木幸一。彼は、確かに珍しい人間よね。遺伝子操作兵でもないのに、予知能力という特殊な力を持っている」

 氷が背中に入れられたように、沢渡は冷や汗を掻いていた。一つの可能性に思い至ったからだ。

 そもそも、彼女はどうして手ぶらで、自分の前に姿を見せるような危険な真似をした?

「数は少ないけど、そういう人間は他にもいるのよ。大概そういう人は、各国の特殊警察等に入っているわね」

 眼前の彼女がそうであれば、自分の前に出てきた理由は……!

「私もそういう力を持っているわ。眼と眼を合わせた人なら、その人の動きをこちらで自由に制御出来るのよ……例えば、自分の失敗に絶望し、自殺を演出する事も、ね」

 次の瞬間、沢渡の腕が動く。銃口が沢渡自身のこめかみに押し付けられる。

「ま、待ってくれ!」

 命乞いに、沙紀は絶対零度よりもなお冷たいであろう、死の微笑で応じた。

「磯辺君は貴方に命乞いをしたでしょう? 誰だって死にたくないもの。その彼を、貴方はどうしたかしら?」

 沢渡は涙と鼻水で顔を濡らしながら、それでも懇願する。

「た、頼む! もうこんな事はしない! 心を入れ替えて足を洗う、だから!」

「マナさん達なら、貴方を助けたかもしれないけど、生憎、私は彼女達ほど優しくないわ。……知り合いを殺されて黙っていられるほど、私はお人好しじゃない……地獄で己の罪を悔みなさい」

 その呟きを掻き消すよう、銃声が更地に轟いた。

 沙紀は屍となった沢渡を見下ろす。

「……本当。彼女達より、人間と呼ばれている私達の方が、よほど人でなしね」

 自嘲するように、少女は小さく囁いた。

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